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アメリカ横断ウルトラクイズ リンク集

『アメリカ横断ウルトラクイズ』(アメリカおうだんウルトラクイズ)は、日本テレビで全17回開催・放送された視聴者参加型のクイズ番組。略称は「ウルトラクイズ」あるいは「ウルトラ」。 英語表記は"TRANS AMERICA ULTRA QUIZ"である。なお、タイトルロゴには"TRANS AM ULTRA QUIZ"と表記された。 1977年(昭和52年)、『木曜スペシャル』枠で日本テレビ開局25周年記念番組として第1回が放送された。その後レギュラー化し、年に1回ずつ制作、原則として11月に放送された。番組名は『史上最大!第○回 アメリカ横断ウルトラクイズ』(しじょうさいだい だい○かい - 、第1回は回数表記はなし)。1992年(平成4年)の第16回を最後に終了となったが、1998年(平成10年)に日本テレビ開局45年記念番組『ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』( - こんせいきさいご - 、以降「"今世紀最後"」と記す)として、一度限りの復活を果たした。

日本各地から集まった挑戦者たちが、「知力、体力、時の運」を合言葉に、広大なアメリカ大陸を横断しながら1,000問以上に及ぶクイズに挑戦し、決勝地ニューヨーク(第9回はパリ、"今世紀最後"は西インド諸島)を目指すという番組。 決勝地への移動の途中、「チェックポイント」と呼ばれる各地にて風土や名所などに合ったクイズを行い、勝ち抜ければ次のチェックポイントに進めるが、敗れると現地で厳しい罰ゲームを受けた後、日本へ強制送還させられる。数々のチェックポイントを勝ち抜き、決勝地にたどり着けたのは各回2名(第11回は3名)。ここで最後のクイズを行い、優勝者「クイズ王」を決定した。 他のクイズ番組とは異なり、18歳以上45歳以下(第12回から第16回までは50歳以下。"今世紀最後"は上限なし)でパスポートを所持していれば、オーディションなしで誰でも番組に参加可能であった(高校生は不可。高専生は4年生から可。他にも細かい規定はあった)。 1987年(昭和62年)に第24回ギャラクシー賞特別賞と第4回ATP賞優秀賞を、翌年には第25回ギャラクシー賞25周年記念特別賞ユーモア賞を受賞。ギネス・ワールド・レコーズ(ギネスブック)には「世界で最も制作費のかかったクイズ番組」として記載された。 第10回と"今世紀最後"については横浜市にある放送ライブラリーで視聴することができる。

本番組は、数あるクイズ番組の中でも一目置かれた位置づけをされ、単に知識量や早押し技術などのクイズの能力を比較するクイズ番組とは一線を画していた。1年に1度しか開催されなかったこと、各地を転戦しながら行われた多彩なクイズ形式、地球規模のスケールの大きさ、挑戦者の人生そのものまで変えてしまう番組自体が持っているドラマ性、参加人数、放送時間の長さと質の高さなどの点で、本番組の注目度は他のクイズ番組を圧倒していた。本番組では、第1 回から優勝者を「クイズ王」と明言していたが、これは「日本で一番クイズが強い人」と必ずしも同義ではなく、体力や運など様々な要素が含まれていた。 本番組の影響を受けた番組も多数生まれた(番組がもたらした影響を参照)。しかし、大人数を海外に集めてクイズを行う形式を踏襲した例はごく少ない。他局は真似しようにも、どうしても出国手続だけでも1日費やしてしまい、できなかったのである[1]。そのノウハウとは「成田空港行きが決まった人の全てのチケット取得と出国手続きをジャンケン前に完全に済ませておき、ジャンケンに負けた人の分をその場でキャンセルする」という手法であったという(近畿日本ツーリストのウルトラクイズ担当談)。日本テレビ側のきちんとした主旨の説明、旅行代理店側の腕、航空会社や空港スタッフ側による番組の主旨への寛大な理解と協力が必要であった。番組の「画」的にも、時の運に翻弄される一喜一憂の表情が濃く現れることになった(敗者にとっては、出国手続きを済ませてあとは乗るだけなのに問答無用でキャンセルさせられることになった)。 独自の演出 [編集] タイトルは「クイズ」であっても、単にクイズの優勝者「クイズ王」を決めるためだけの番組ではなく、普通の人々が突然アメリカなどの広大な自然や冒険・難局に直面したときの表情、挑戦者同士の触れ合いなど、人間ドラマを色濃く描かれた演出が特徴的であった。番組の主眼は挑戦者の人間模様、そしてクイズに敗れた敗者にあり、「クイズ形式の人間ドキュメンタリー」というコンセプトがあった。番組で共に旅したのを機に、挑戦者同士がその後も何らかの形で交流を続けるようになったケースも多く、挑戦者同士が結婚したケースもある。 各クイズ後、勝者と敗者はすぐ引き離されるため、クイズを行う時は挑戦者は必ず自分の荷物を傍らに運び込んでおく必要があった。これは、あくまで旅の途上との演出も兼ね備えていた。 各チェックポイントにおいて失格以外の本人の意思による自主的なリタイヤは認められていない(ただし挑戦者がドクターストップでツアー続行が出来なくなった場合はリタイヤが認められる)。 基本的に挑戦者はいつクイズを行うかは直前まで知らされず、たとえクイズの合間の観光に見えても、自分の荷物を持たされている限りいつクイズが始まるかわからないのであった。また、風光明媚な土地などでは、挑戦者を驚かせるため、クイズ会場までアイマスクをしたまま移動させることもあった。このようなシビアな条件が極限状況を生み出し、挑戦者同士の連帯感を生む要素ともなった。機材の撤収や敗者への罰ゲームの収録を行う関係からか、クイズの収録は午前中に行われることが多かったという。 司会の福留功男は番組当初から、挑戦者の人間模様にも焦点を当てるために、恋人や婚約者の名前、家族構成や勤務先などといったプライベートなことを聞き出し、番組の中で効果的に披露していた。 優勝賞品はインパクト重視で、日常生活にはあまり役にたたないものばかりであった。これは当時のオープン懸賞の上限が100万円であったためである。しかし、この優勝賞品発表時の言葉から発せられるイメージと、実物を見た瞬間のギャップも一つの見せ場となっていた。だがこれらのなかには「世界一周旅行」など日常では経験できないような賞品も用意されたこともある(100万円相当のものからタダ同然のものまで年によってバラバラ)。本クイズの優勝者に与えられるのは賞品のみで賞金は一切出なかった。つまり得られたのは「アメリカ横断ウルトラクイズに優勝したという名誉」だけであった。

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